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2022.11.10カテゴリー:著者:大澤淳一

なぜ働く機会が必要なのか?

権利擁護としての就労支援

-働くことをあきらめないことから始める-

 一般的に大学を卒業してから職についていないと、世間から白い目で見られることがあります。一方、障がいのある人の場合はどうか。典型発達の人と同じくらい働くことを「強く」求められているのでしょうか?障がいがあると、「プータロー」や「ニート」と揶揄されることが少ないようにも思います。

 後期中等教育機関の卒業に伴う進路選択では、「学校から社会へ」という側面と、「子どもから大人へ」という2側面がある移行期と言われます。それは、今まで親に守られ、与えられ、管理されていた生活から、自分で選び、決定し、結果の責任を引き受ける生活への移行を意味します。「学校から社会へ」つまり「学生から社会人へ」といった移行に際して、なぜ、障がいのある人は、必ずしも「働くこと」を求められないのでしょうか?

 理由は2つ考えられます。1つは、障がいを理由にした、「周囲からの保護の意識」。もう1つは、障がいを理由にした、「本人のあきらめの意識」です。

 前者は、周囲の意識の問題です。例えば、「障がいがあるから、無理に働かなくていい」「障がいがあるから、能力的に難しい。難しい仕事ではなく、簡単な仕事を、福祉の現場で行えばいい」一見すると耳障りの良いこれらの言葉は、とても真っ当に思えます。

 後者は、本人の意識の問題です。例えば、「自分はこれまで多くの失敗経験をしてきた。これ以上失敗したくない。障がいがあるんだから仕方がない」「自分は障がい者なんだから、福祉のサポートを受けて当たり前。納税?考えたことがない」これは、筆者が実際に、当事者とやり取りする中で見聞きした言葉です。これも一見真っ当な言葉のように感じます。

 どちらも、違和感なくこれらの言葉を受け入れられる人も多いと思います。

 でも、本当にそうでしょうか?

 どちらも、検討の余地のない真っ当な考え方のようですが、違う角度で捉えると「障がい者に、仕事はできない。特別な環境を用意して保護しないといけない」という差別意識が、根底にあるように私は感じます。しかも、これは、第三者から障がい者に向けられる差別意識に加えて、当事者が当事者に向ける差別意識でもあります。

 どうしてこんなに、「障がい」が介在すると、みんながみんな働くことにネガティブになってしまうのでしょうか。そもそも、日本国憲法で「勤労」は国民の「権利」であり、「義務」であると位置付けられているのに、です。

 象徴として、特別支援学校等の進路指導があげられます。もちろん例外はありますが、これまでの伝統的な進路指導では、一般的に近隣の福祉就労機関、企業からあらかじめ提示された枠組みに対して、在籍する生徒を、まるでパズルのピースをはめていくかのように、進路決定を進める方法が取られることもあったと聞きます。もちろん、近年、個人の希望を反映した進路決定ができるようになっていますが、そういったパズル方式は、学校卒業後の行き場所がないという事態を防ぐことはできますが、一方で自分の希望する選択肢を必ずしも選べるとも限らないことを意味します。

 現実、雇用という経験や選択肢を与えられないまま一生を終えていく障がい者は多く存在し、その決定権は本人ではなく、教師や保護者という第三者に委ねられているのが、現状です。

 障がいのある人も、核となる障がい部分を適切に支援すれば、我々と相違ありません。そうである以上、その機会を逸する権利は、本来誰にもないのです。だからこそ、我々支援者は、障がいのある人に適切な支援を提供しながら、働くことに挑戦する機会をつくらないといけないのです。トライフルは、そういった使命感で動いている専門機関です。

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大澤淳一

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