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2022.10.16カテゴリー:著者:城日菜子

「障害」の言葉の重み

こんにちは!
たすく横浜教室の城日菜子です。
早いもので、10月ももう中旬。肌寒い日が増えてきましたね。
今日は、「きょうだい会」についてお話しさせていただきます。

昨年度から、横浜教室では、定期的に「きょうだい会」を開催させていただいています。
毎回明確に決まったお題があるわけではないのですが、きょうだい関係のことで思ったことを話すような場になっています。
今は、大学生のメンバーと、私のような「きょうだい児」であるスタッフとで話を進めているのですが、
その中で今回は、私の悩みを相談させていただきました。

大人になった今、子供の頃のような単純な悩み(ゲームのデータを全部消された。友達に妹を紹介する時になんといえば良いのかわからない。など😅)はなくなりました。
「きょうだい児支援」では、よく、そのような子供たちの悩みを聞いてあげることが取り上げられますが、案外その年代だと、「悩み」として聞いてもらうよりも、打ち込めるものを作ったりとか、一緒に思いっきり遊んであげるとか、そうやって気持ちを前向きにできるように仕掛けることのほうが良いのかな、と思ったりします。
私は、子供の頃から妹がずっと近くにいたことで「障害」の分野に興味を持つというよりも、「なんとなく知っていた」というような感覚が強いなと、自分では感じています。
妹と一緒に過ごしてきたから、「障害者スポーツ大会」や、「パラアートフェスティバル」など、あくまで「障害を持っていることを前提として」参加するような催し物を多く見てきました。
私はそんなステージで、一生懸命頑張る妹の姿がずっと大好きでした。

しかし、大人になってから感じるのは、言葉の威力で
「障害」ということを表すような言葉がタイトルに入っていると、なんだかフィルターがかかっているように思えてしまうことがありました。
たとえば、何か一つ作品があったとして、その作品は「障害を持つ子が作ったから」素晴らしいのか、それとも、ただ単純に素晴らしいのか。
打ち出し方によっては、「障害を持つ子が作ったから」素晴らしい。と、感じてしまう人も多いのかなぁ、と、考えるようになりました。
でも、そこに打ち込んでいる彼女たちの真剣な眼差しや、諦めない姿を知っていれば、心の底から「素晴らしい」と感じるのだと思います。
つまり、大切なことは、「理解」すること。
そして、「理解」を進めるためには、彼女たちの頑張りを一番近くで見てきた私たちが発信すること。
理解が進めば、「障害」という言葉なしでも認められて、平等に評価されるのだと思います。

だから、自分のやっていること、自分の妹のこと、たすくのやっていること
発達障害のある方々の社会参加の可能性を発信し続けたい。
そうすることで、平等に評価をするような社会が実現されるのだろうなと思いました。

きょうだい会のメンバーは、共通していることは「障害を持つきょうだいがいること」たったそれだけですが、
感じる部分が似ていたり、今回の話も、共感してもらえることも多く、私自身もすごく救われている部分が大きいと感じています。
物心ついた時からそばにきょうだいがいて、きょうだいたちは、何か普通の子と違うなと思ったこともあれば、何が違うのかわからなかったこともあった。
そんな仲間達と、感じてしまった言葉の「違和感」を、
同じ視点で話し合える機会を持てることが、とてもありがたいな、と感じています。




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